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1.自分のための棺 2.Baby drive 3.牛乳石鹸 on the 白タイル
4.大人のための電話 5.大人のための電話2 6.ORESTYLE T-shits
7.刷りガラスごしのカネヨ 8.走る水槽ラジコン 9.キティ間

<自分のための棺>

   
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3枚あります   

<作品に関して>
BOXアートを作りたい気持ちから、まず箱に何を容れようと思っていたら、箱そのものに関心がいき、箱が棺に見えてきたため、その棺に何を容れるかの問いになった。そうしたら自分を容れてみることが面白いとおもったのだ。コーラ瓶の中で窒息している自分がいる。


<Baby drive>
 
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3枚あります  

 
<作品に関して>
誰もが、子宮の中でしばらくの間暮らしていた。私は悪いことをして、押し入れの中に閉じ込められたとき、絶望的な恐怖に襲われたものだが、あれは今想うと、子宮の中でしばらく暮らした暗闇を思い出したのではないかとおもう。人間の中に人間がいるということ。ロシアの人形マトリョーシカのようにイレコになっているという仕組みは神秘とともにグロテスクではないだろうか。

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<牛乳石鹸 on the 白タイル>
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<作品に関して>
これは、言葉、意味からはまったく離れた作品にしあがったとおもう。説明や理由がないことは、晴々としていい。白いタイルに牛乳石鹸を置きたかったんです。

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<大人のための電話>

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※ご注意!!
写真をクリックすると淑女には
不愉快なメッセージが流れます。
ご了承の上、ひっそりと御聞き
ください。

<作品に関して>
今回の作品は、アートとかあんまり関係ないでしょう。こういう無意味というかアホな物を作りたくてたまらない自分がいるのです。もう、こういうことは飽きるまでやるしかないと思っています。自分としては飽きて次ぎのステップにいきたいとは思っていますが、基本的にこういう精神はずっと大事にします。
また、今回の作品は、実物で体感できるものであり、そういうものなのですが、WEB用に体感するようにアレンジしているだけです。第2段の大人のための電話も制作途中であり、それはメッセージに多様性を盛り込みます。暇だったらまた、体感してください。

<大人のための電話ver2>
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before after
作品がどのように
変わったのかが
わかります。
 
<作品に関して>
私は、図像というかデザイン力が弱い。まあ、フォルムを作り出す能力があまりなく、コラージュやコーディネイトするほうが得意だと思う。この作品、どちらかというと、元々の作品をどのようにフォルムを変えることができるかという遊びのほうに重点があり、音源に関しては既に自分の発想の中にあるので、チョイスすることは簡単すぎて、そこまで面白くないのだ。つまり何がいいたいのかというと、創作は苦手であること、才能がないほど、面白く、可能性という宝を上手な人より、才能がある人よりもっているのだ。これは人生にもあてはまる。

<ORESTYLE T-shits>

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<作品に関して>
どうやろ・・・。前もっていっておくと、私は完全なアイデア先行型です。Tシャツにプチプチビニールを縫いつけたら面白い。これだけの発想です。ここが、ポケットになるので、今は、ポストに入っていた、リサイクル回収のチラシを入れました。みなさんはポストカードとか入れたらいいかもね。世界で一番おしゃれは誰か?その答えは簡単なんです。自分で作った服を着ている人なんです。ここ大事なところ、おしゃれのカリスマとか言われている輩、あの中で誰が自分で洋服作っているだろうか?


<刷りガラスごしのカネヨ>  

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<作品に関して>
この度の作品は、色々な意味で成功があったと思う。第一に、日常の生活を切り取るという試みの発想を得たこと。それは日常があたりまえの日常としてあるのではなく、初めての経験としての日常を見る視点だ。もう一つに、この作品を風化させ(外に置いて錆びさせる)その後、これは、どこかに発表をしてもいいとおもった。その意味で世間的な成功をもてる可能性があるかもしれない。とにもかくにも、物自体として、私には、特別な何かがあるのだが、説明できない。見てくれた人は何を感じるだろうか?


<走る水槽ラジコン>  

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<作品に関して>
世の中には既製品がありふれているが、それは、こんなのが欲しいだろうと予測した上で提供されるものであり、オーダーメイドでもない限り本当に欲しいものではない。私は、菱形の水槽窓がある玄関ドアが欲しかったし、水槽が走るラジコンが欲しかった。なので作った。もしかしたら本当に世界に一つかもしれない。まだ金魚はいれていなく、個展をするときに金魚(役者)に入ってもらおうと思う。

<キティ間>    

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<作品に関して>
この前、デザインフェスタにいったら、キャラクターをアートと見せる作品が、もういいというほどにあった。これは問題だなだなと友達とも話した。キャラクター文化ってなんだ?問うたら、色々話すことはあるのだが、これが私のキャラクタ文化への言葉です。ねぎ間ならぬキティ間、スヌーピー間ではなく、犬間、猫間でもええわ。キャラクタ文化とペット文化ってリンクしているんです。おれ、そういう爛熟って嫌いです。
 

私のinstallationに対する考え方

--Installation--

現代芸術において、従来の彫刻や絵画というジャンルに組み込むことが
できない作品とその環境を、総体として観客に呈示すること。

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「やりたいことがわからない」
 現代人 was said .
「だけど、何かをやりたい 」
 another 現代人 was said .
「自分が何者かがわからない」
 another2 現代人 was said .

 できあがったもの(メディア、作品、自然)、それに似せようとすること、
またその完成品に近づこうとすることが、上記の3人の現代人のような陥穽に入ってしまう。

 岡本太郎がこれにちゃんと答えをいってくれている
「芸術は
 うまくあってはいけない
 きれいであってはいけない
 才能はないほうがいい」

 何かをしたいのに、何もできないことほど、不幸なことは
ない。その悲しみは聞くに耐えない。

 しかし、それは、どこかで
うまくあろう、きれいであろう、才能がないからという意識が
歯止めがあるのではないか。
 他人の目によって、自分が自分を生きられないとは、
なんのための、誰のための人生か?

 私は、このInstallationの発想こそ、現代人を救う方法論では
ないかと思う。私の住まう住所はシナリオ番地でもなかったし、
タブロー番地でもない。私はシナリオ番地に就職しないだろうし、
タブロー番地にも就職しないだろう。私は私の体にいつでも住ん
でいる。
 主体は自分であり、体である。メディアは自分の心と体がよりよく
生きられるための道具でしかない。
 やりたいことが見つからないとは、そのメディアの鋳型(シナリオ、
絵画、ダンス等)に無理やり自分を押し込もうとするから、自分の体
が拒否をするのだ。そして、その鋳型に入って宇宙を形成できるものは、
運がいいこととなる。しかし、そこに入れなかったものは、ただの運が
悪い者であり、或いは現実と戦わなかった者、努力が足りなかった者
として捉えるのは、私は人間に対する眼、人間に対する可能性と想像力
への眼が軽率な場合が多々あると思うのだ。(つまり、世間と戦うと
いうことは、そこに入るだけが戦いではなく、それとはっきりと対峙して
戦うことだって、同じ戦いなのだ)

 人間は基本的にやりたいことがある動物であり限り、
その本望を実現すべきである。それには鋳型に囚われない
Installationの発想がどれほど大事なのかと思う。
うまくなくても、きれいでなくても、才能がなくても、面白いと思ったことを
誰の目も気にせずやること。そうしたら、お金にならずとも、趣味だと
バカにされようとも、オナニーだと言われようとも(これらの苦言が、
人間をどれだけ脅かし、不幸をもたらせているか)、木が誰かの目を気
にして伸びていくことを遠慮などしないように、人間は思い切り本然に
のっとり、伸びていくこと、これこそが大事である。