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氏名

山家 仁(やまか ひとし)

在住 埼玉県 戸田市在住
生年月日 s46.10.18
生まれ 新潟県新潟市
学歴 高卒/美術教育なし
職業 サラリーマン
   
好きなもの  
美術
ロバート・ラウシェンバーグ/横尾 忠則/岡本 太郎/ 曽我 蕭白 /
ニキ・ド・サンファル
音楽
初期の友部 正人/ドビュッシー/チャイコフスキー/ラフマニノフ
文学
ゴーリキ(大尊敬)/ジャン・ジュネ(この人は本当にすごい)/ランボー/メリメ
ダンス
土方巽/ジュルジュ・ドン/モーリス・ベジャール
漫画
つげ義春/水木 しげる/杉浦 
映画
チャップリン
女子
嫁 
好きな言葉
come on join us ! / マイナスに賭けろ!(岡本 太郎)
趣味
 
メール

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略歴

 

 

 

・19歳にて上京、セレスポという軍隊のような会社になぜか入社し、イベント設営といいながら、ほぼ職人仕事をする。ここで、会社というもの、男というもの、自分の仕事に責任を徹底的に持つというプライドを授かる。逆に職人的な仕事、いい加減ではない仕事のやり方を覚えてしまったため、その後、不自由になる。
・会社を辞め、フリーター道に突入、工場のバイトにて、精神がおかしくなる。そのとき、世界との一体感、恐らく修行者が言う、宇宙との一体感を味あう。それは一度きりで、その後はない。ここで現代に生きるということを徹底的に学ぶ。処女小説を完成させた頃もこの時期。精神がおかしくなると、感性がものすごく発達していたので、今でもこの時期が一番、創作者としてはパワーがあったものだとおもっている。
・シナリオを25歳位から始める。言葉の表現は、紙とペンがあればできる手軽さと、その他の才能に気づいていなく、なにも作れないと想っていたので、言葉に手を染める。シナリオセンターという学校に通い、楽しくシナリオを書く。
・28歳位から、言葉の表現に疑いを持ち出す。特に土方巽を知ってからは、自分にとってのセリフ劇の無力さに、気づいてしまい、継続させるために気づかない振りや、違うアプローチを何十種類も試みるが、どれもうまくいかない。
・33才まで、言葉の表現を辞めようと想ったこと、数十回、逆にまた、やろうと想ったことも数十回、どうしても可能性が見出せなかったのだが、ここには何かがあるはずだし、これしか自分は学んでいないから、これをやるしか仕方ないんだという思い込みから、非常に苦しむ。その間にも、他ジャンルへの試みはし始めている。陶芸、絵画、音楽など、どれもしっくりこない。

・33才の11月、失恋をする。そのときに、このままじゃだめだと、減量に励み、13キロを3ヶ月で落とす。毎日ランニングをすることで、考え方がシャープになっていく。この時期に、習っていた絵画で、決定的な発見をする。同じ生徒の並べられた絵を自分で見たときに、私の絵は、明らかに、他の生徒ととは違ってみえた。それは、今まで言葉で苦労し、何度も自分を捨ててきた修練が、絵に出ている。それは、絵の線や、消し方の大胆な決断力と、挑む姿が見えたのだ。私は、今までやってきたことは、私にしかできなかったアートィストとしての取り組みだったのだと感動をした。わたしはアートをやるべきで、そのような人間なんだと気づく。
・33才の12月に、インスタレーションという言葉が意味もわからず、頭にひっかかった。この言葉を調べたときに、まさに自分にぴったりだとおもいいたる。自分は与えられた枠では、その輪郭の限界を感じ取る感性が鋭すぎるのだろう。私は、インスタレーションでなければ、なにもできないだろうとおもったことと、ここなら、おもいっきりできると確信をする。私はその時点では何も作っていなかったが、絶対これから自分は面白くなるし、どんどん作れるだろうと確信した。

・33才の8月に横尾忠則の講演会の聴講にいく。この会にて茜と出会う。14才の年の差ながらその後一緒に住まうこととなる。このことによって、自分ばかりに関わっていた自分というもの、一人でずっといたことの垢のようなものを認識する。二人で支えあったり、気遣ったり、励ましあったり、けんかしたりと自分の生活に多彩な色取りが増えた感じがある。
・34才の11月にデザインフェスタに初出展する。どうにも自分の作品に声をかけてくれるものだと期待していたが、何か異質ないやったらしいもの怖いもの感心を寄せる価値のないものというイメージをもたれたかあまりコミュニケーションがとれなかったことに愕然とする

・その後、制作の方向性に関して、整理が必要となる。なにが自分は面白いのか、なぜ自分は美術を行うのか、今ここで美術を行う理由は、芸術というものを創り社会性とはなんなのかを考察、体感、体験していく。その結果、なんとなくここでは明記がまだ出来ないが、方向性が生まれてきつつある。
 そして、2007年5月に2回目のデザインフェスタの出展を迎える。
・2008年に茜と入籍する。翌年、茜の地元の蕨に呼ばれて、蕨市民会館で結婚式を行う。数か月後に蕨に引っ越す。現在は、サラリーマンとなった。
・ 2010年には正社員というものになった。デスクワークが中心であり、ストレスがたまりやすい仕事 だ。体や心が喜んでいないため、どうにも体が悲鳴を叫びだす。こんなままでいいのだろうかとぼんやりと考えながら生きている。私のように生きている人間はたくさんいる。なにかの人間性を身につけるために、その困難を引き受けるということが、果たして、今という時を生きているのかと考える。この今をかみしめながら、生きるにはどうすればよいか、どんな勇気が必要なのかを考えていることが、2011年の現在の感慨である。
・2014年に仕事を辞めたが、まだサラリーマンをしている。サラリーマンという生き方はもう終わろうとしている。体がそういっていた。
体がそういっていたとおり、知り合いのつてで正社員で就職ができたにもかかわらず、3か月で退職する。その後、フリーで働く。サラリーマンから離れてみると本当に健康になる。体も10キロやせた。もう、サラリーマンできないよ。違うことをやりたいものだ。